しかし、広く一般に無自覚に誤用されている「私にとって大切な言葉」とは何なのか。少しTwitterで呟いたものをピックアップしておきます。
(これは誤用し続ける他者を非難するものでも、その知識不足を指摘するものではありません。自分の理解を整理するものでありあます。)
enju@j_enju言葉の意味が分かっても、それが指し示すものが分かる訳ではないし、そんなに簡単に分かってたまるかという気持ちもありながら、やっぱり間違った使われ方されてるのを見聞きする度に悲しくなる。その一つが「他力本願」という言葉。
2013/03/10 22:52:13
enju@j_enju僕も若い頃は、言葉は生き物なんだから、時代と共にその使われ方、さらには本来の意味自体が変化していくことは当然だし、またそうでなければ生きた言葉にはならないと思っていた。
2013/03/10 23:22:03
enju@j_enjuでも、誤用によって失われてしまった「こころ」。先人らが大切にしてきたモノは、時代ごとの新しい乗り物(言葉)では決して運ばれないだろう。変えてはいけないもの、大切にしなければならない器(形)というものがあるのだとようやく気づいた。宗教の言葉が数千年も変わらない事の意味を深く味わう。
2013/03/10 23:24:47
enju@j_enjuそして何よりも「その言葉に生きている人がいる」。その人にとって言葉は命そのものなんだと知った。だから誰かが大切にしている言葉を大切にすることは、その言葉に生きている人を大切にすることになるんだ。その反対、つまりその人の言葉を自分の言葉に置き換える事は、とても残酷なことだったんだ。
2013/03/10 23:29:50
「私の言葉」「大切な人の言葉」「宗教の言葉」いろんな観点から味わえました。