ぼーっと空の雲を眺めてて書き始めた「物語」
【島】
何が正しいか、どれが真実かと言う前に、それぞれは既に違う「島」に生きているということ、しかもそれは決して其の如くは理解し合えないということを思いだしてみた。
まずはここからではないだろうか。
自分の「島」に土足で上がりこまれて嫌なように、相手の「島」にもそうしてはならない。
「遠い所、わざわざお訪ねくださってありがとうございます」
「お招きありがとうございます。今日はお邪魔いたします」
「私は自分の島のことしかわかりません」
「よかったらあなたのお話聴かせてくださいませんか」
こんにちは。
さようなら。
お昼の妄想終わりぬ。
(思いつきなので加筆訂正順次)
【島】
自分の輪郭を「島」に喩えてみる。
その輪郭は知識や経験で大きくなっていく。
取り囲む「海」は未知の世界。
普通は年齢と共に「島」は大きくなり「既知の世界」が増えていく。
ただ、その「島」と「海」の接岸する輪郭が広がるにつれて、
「島」はさらに「未知の海」に接することになる。
そうして「島」は「島」には分からないこと、未知なるもの(海)が圧倒的であることを知る。
中には「海」を見ないで、自分の「島」しか見ない人もいる。
ある日、不思議なことに「舟」という乗り物が発明さた。
お陰で時々「舟」に乗って、違う「島」を訪れることができる。
「島」にはそれぞれの歴史や文化があって、それぞれの「島」なりの哲学がある。
その「島」ではそこで生きる者の確かな「実感」があり、それぞれの「世界観」がある。
人々は互いの文化や世界観の違いに驚き、時に否定し合い、時に争う。
利用しあうこともあれば、占領することもある。
いつもどの「島」が正しいか、進歩しているか、優れているかが問題となった。
いろんな「島」を訪ねる人もあれば、一生を自分の「島」で終える人もいる。
ある時人々は、最期には「島」は「海」に飲まれてしまうことを知った。
「私」だと思っていたその「島」が未知の「海」に沈んでしまうのだ。
「海」は繋がっている。「空」も繋がている。それはみんな知っていた。
でも「島」は別々に存在している(ように見える)。
人々は恐怖に慄いた。
そんな時、「島」は海底では繋がっていることを発見した人がいた。
しかし彼は「島」には輪郭があることも知っていたし、実際にそれはある。ただ、島が島として独立してあるのではないことを発見したのだった。
ただ、彼はすべては繋がっており、因縁によって様々なカタチをとって生起している、という事実を発見したのだった。
そして「島」は「私」ではないし、「あなた」ではないと言った。
それを聞いた他の「島」の人々は驚いた。
信じる人もいたし、信じない人もいた。
怒り出す人もいれば、そんな狂人は殺してしまえと言う人もいた。
発見者は言った。「海に潜って確かめなさい。そうすれば分かる」。
最初はその発見者が、潜り方や泳ぎ方、潜っていい状況や、潜りやすい方法を教えた。
それも「島別」に、各々に理解できるように、その「島々」のことを理解し、その「島々」の人々が出来る方法を教えた。
多くの人々はそれを実践し、実際に確かめることができた。しかし誰もが「海」などに潜りたい訳でもなく、また潜りたくても潜れない人は、それを信じるか、信じないかしか出来なかった。
次第に直接潜って確かめた人がいなくなり、その「島」に伝わる「ある人にしか適さない方法」を真似て、多くの者が溺れた。
溺れて死んだ者もいたが、溺れながら泳ぐこと、潜ることを憶えた者もいた。
今度はその人たちが「私の島のやり方が正しい」と言い出した。
彼らは「こと」を「もの」だと思い「所有」し始めたのだ。
中には実際自分で潜ったこともないのに「これこそが正しい」と言い張る人たちもいた。
残念ながら「島」と「島」には共通言語はない。みんな違う世界観を生きていた。ただ、その世界では一貫性のある論理、しきたり、言い伝えを信じていたし、誇りに思っていた。
それぞれはそれぞれにおいては正しかった。ただ、部分的に、だった。
何が正しいか、どれが真実かと言う前に、それぞれは既に違う「島」に生きているということ、しかもそれは決して其の如くは理解し合えないということを思いだしてみた。
まずはここからではないだろうか。
自分の「島」に土足で上がりこまれて嫌なように、相手の「島」にもそうしてはならない。
「遠い所、わざわざお訪ねくださってありがとうございます」
「お招きありがとうございます。今日はお邪魔いたします」
「私は自分の島のことしかわかりません」
「よかったらあなたのお話聴かせてくださいませんか」
こんにちは。
さようなら。
お昼の妄想終わりぬ。
(思いつきなので加筆訂正順次)