友人の一周忌を有志の仲間とお勤めしました。もちろん故人の自宅でもご家族とお勤めしたのですが、友人の一人が「あいつは延樹の読経が好きだった。あいつのために本堂でお経あげてくれないか。布施はする」と声がかかり、「それなら一緒にお勤めしようよ」ということで、急な話ながら数人の友人が集まりました。

友人だけだったので、いつも提案したいと思っていた法事のスタイルでお勤めさせてもらいました。
最初に丁寧に法事の意味と次第の中身を説明して、読経は短めにして、ゆっくりと法話。

普段と違うのはその後、みんなで円坐になり、それぞれの思いを語り合う場を時間の許す限り持ちました。(普段は定位置のままのやり取りなのでどうしても僧侶中心になりがち)

円坐には故人のお母さんも参加され、驚くほどよくお話されました。毎月お参りでいろいろとお話するのですが、この日は今まで話せなかった話を涙いっぱいにしてくださいました。

やっぱり深い悲しみの思いはたとえ家族にでも(いや、家族だから余計に)、日常の中ではななかなか話せないんだなぁと、あらためてその胸のうちを聴かせて頂きました。

彼は癌に侵されながらも発心得度し、僧侶となって亡くなりました。彼の最期の思いは「みんなにも仏法を聞いて欲しい」でした。

「でも僕にはもう出来ない。短い時間だけど生きざまで見せたい」と、たくさんの離れ離れになった仲間が繋がる機会を、自身の苦しい身体に鞭打ちながらも笑顔で作ってくれました。

一周忌のこの日も、彼のはたらきで、お寺や仏法にまったくご縁のなかった友人らが集いました。
これからも、このご縁は続いていくのでしょう。

人は死してなおはたらく。

有難いご縁でした。
合掌