子どもの頃から色んな疑問をもってたけど、まだ何も答えらしきものを得ていない。そもそも僕はほんとは何も分かっていないのだった。
例えば、子どもの頃いつも思ってた。「僕が今この部屋のベッドで寝ている時に、小学校の校舎は存在しているのだろうか」とか。
周りの人たちは言った。「そりゃあるだろう」。でも、自分が直接確認できないものが確かに存在していると言えるのは何故だろう。それは推測だろう。
例えば、クラスメイトの健ちゃんは、僕が家に一人でいる時、どこかでちゃんと存在しているのだろうか。
例えば、隣の部屋はいつも隣の部屋として存在しているのだろうか。
例えば、僕が目を閉じた時に、本当は世界は一旦消えてしまっているのではないか。
例えば、先の学校の校舎が気になって、夜中に現地に見に行ったとして、今度は僕の家が消えてしまっているんじゃないんだろうか。
その時たとえ電話で家の誰かに家の存在を確認しても、それが本当かどうかどうやって確かめられるのだろうか。
なんて事を、しばしば考えてた。
例えば今君は(僕にとって)確かに存在しているのだろうか。
僕が忘れている時は、少なくとも僕の意識の上では存在していると認識できていないのに。
でも、亡くなった友だちは思い出す時は、いつも「いる」と感じるのは何故だろうか。
生きている(これも謎だ)人は、存在したりしなかったりするように思うのに、亡くなった人はいつもいると感じるのはどうしてなのか。
こんなような問いを考えたり、今まで結構色んな本を読んだりして、何となく分かった気になっていたけど、実は全く分かっていないのです。
ほとんどの問いは、分かったフリか、問う事をやめてしまっただけで、やっぱりいつも変わらずあるんだなぁと。
今、書いていて意識が日常のレベルに戻ってきたけど、書き始めの頃は子どもの頃のあの感覚の中でした。
うーん、他にも幾つか疑問があったなぁ。
また、今度誰かと語らってみよう。
できれば、焚き火など囲みながら。
正月そうそう変なこと書いてる(笑)
ご静聴ありがとうございました。
つづく……よね、これ(笑)
問いは問いが消えない限り問いとしてあるんだもん。