中3の娘の友人が亡くなった。小学校の頃に同じ塾で仲良しだった子だ。

昨日お通夜で今日が葬儀。

朝、娘の担任の先生から電話があった。

担任「今日は大事な模擬試験の日なんです。お通夜に参列すれば葬儀に出なくても大丈夫なので、試験を受けるように促してもらえませんか?」

僕「娘は葬儀に出たいと言っています。」

担任「そうですか。娘さんにとって大事な模擬試験なんですが…。」

僕「本人に任せます」

こんな感じのやり取りだった。




僕はもちろん娘の意思を尊重したい。僕自身の思いも同じだからだ。

娘の中学は私立の進学校。試験や成績が大事なのはわかる。

しかし、大切な友人が亡くなった。自分には何もできない。せめてお葬式に参列したい。

これ以上に大事なことがあるだろうか。

葬儀は他者の死に自身の生を問う大切なご縁。

これ以上の学びが他にあるのだろうか。

思春期の子ども達にとって、身近な者の死は、大人が思うよりはるかに大きな出来事だし、他の何より重大な機会。

試験が出来ても、成績が良くても、人は何時とも知らず皆必ず死んでゆかねばならないのだ。

死と向き合えば、今まで積み上げたものも、手にしたものすべて役に立たない。努力すら無効なのだ。

世の中余裕がない。立ち止まることも、寄り道することも、時に道から外れることも許されない。そういうことは無駄と言う訳だ。

世間は死隠し、死を嫌い、死を遠ざける。

通夜に出れば義理は果たした。それより自分の生活を優先せよ。

根本的な生死の問題を蔑ろにして、世渡りや出世だけを学ぶことが学校ではないだろう。

悲しくも娘の学校は仏教系。

娘は一人、朝から斎場へ向かいました。

彼女の心中いかばかりか。小さな胸に何を思うのだろうか。

独生独死 独去独来

尊いご縁をありがとうございました。