いろいろあるよね。気になるだろうけど、幾つかのネガティブな事象に囚われて「全体的な生」を見失っちゃダメだよ。

合気道の学び。片腕を掴まれたら普通の人は全身を緊張させて抵抗する。でも、掴まれてるのは片腕だけ。本当は残りの身体は何にも拘束されていない。つまり自由に使えるんだよ。

何にフォーカスするか。何に囚われているか。そんなのほったらかして自由に動けばいいんだよ。必ず状況は変わる。懐かしの住み慣れた小さな囲いなんて超えてしまえ。

君はその苦悩が、その悲しみが、これまでの自身のアイデンティティだったからどうしても引き摺られるだろうけど、金輪際キッパリと振り捨てて、一歩踏み出すんだ。時の突端へ。

問題の解決は「答えを得る」ことじゃなくて「問題が問題でなくなる」という仕方で訪れるんだ。

君の囚われている問題は、そんなに毎日苦しんで、君の人生を棒に振るくらい大切なものなのかな?

答えは出るのかな?

それで満足?

全体性は、優しいよ。




追伸

『あきらめた あきらめた あきらめきれぬと あきらめた』詠み人知らず