「100円ショップでの安物買いが、人生を破綻させる5つの理由」

http://www.bllackz.com/2012/08/100.html?m=1

この記事を読んで最近感じてたことを思い出した。大切に手入れしながら、傷んだら修理しながら、ずっと使い続けていける「モノ」っていいなって。愛着が湧くし、その作り手の気持も受け取れる。

記事の要約は【安物買いが、人生を破綻させる】ということで、まとめると、以下のような状況になるようだ。

(1)安物を買うことで、あなたの職が消える
(2)安物を買うことで、違法労働が増える
(3)安物志向は、後進国をも不幸にする
(4)製品の信頼がなくなる
(5)粗製濫造が環境の破壊を生み出す


経済とか環境とかその方面からも問題なんだろうけど、モノを作る、モノを選ぶ、モノを買う、モノを所有するということは、いったいどういうことだろうかと思う。

そのモノの背景にはどんな作り手の気持ちや哲学があるのだろう。それを選ぶ人の背景にもまたどんな気持ちや哲学があるのだろう。

使い捨ての、間に合わせの、値打ちのないものを作る人は、いったいどんな気持ちになっているのだろう。

そうしたモノに囲まれて生活する僕らは、いったいどんな気持ちになっているのだろう。

そのモノから伝わるメッセージは「使い捨ての、どうでもいい、間に合わせの、マガイモノの、安いだけの、購買意欲と所有欲が一時満たされるだけの、 ゴミ同然の、フェイクな代替品」。我々が受け取っているメッセージはこういうものだろう。

これが現代に生きる私たちにとって、どれだけ破壊的な世界観(人間観)を形成していくかは容易に想像できる。


話は飛ぶが、柳宗悦が「妙好品」ということを言ってる。

《片田舎に住む無学な人々の中に、極めて篤く安心を得ている人々がある。とくに念仏宗の中にそういう有難い信者が現われてくる。彼らを尊んで「妙好人」という。考えると美しい民藝品は「妙好品」とも呼ぶべきものではないか。とても性質や事情が似ているのである。それらは主に無学な職人たちの手で育てられる。作られたものをを見ると、多くは素朴で無造作である。元来、一々意識などして作るほどの品物とは違う。だが、こういう事情はかえって美しさと結ばれやすい状態にあるといってよい。》

今も、そうしたモノを作っている人達がいるだろう。そういうモノを、そういう人を、そうさせる〈はたらき〉を大切にしていきたい。