111子どもの頃から食前には「いただきます」というのが当たり前だったが、最近の家庭ではどうなんだろう。今でも僕は、たとえ誰も見ていなくても、また外食であっても、フランス料理であっても、「いただきます」と手を合わせるが、残念ながら「ごちそうさまでした」と手を合わせることをよく忘れる。頂く前だけ手を合わせ、旨い不味いといいながら、満足したらハイそれまで、という何とも浅ましい姿である。
この「いただきます」。最近では、特定の宗教に関わるとのことで、笛を合図に給食を始める学校があったり、子どもが「いただきます」と手を合わせたら「お金を払っているのだから必要ない」と教える親がいたりするという。

ところで、「いただきます」。
いったい何を頂いているのでしょうか。

食物?

いいえ、いのちですよね。


キリスト教文化圏では、動植物は神が人間のために与えたもの、とされているようです。(レッツ・エンジョイと言っていたのを聞いたことがあります)

神道はどうでしょう。

「一滴の水も天地(てんち)の恵(めぐみ) 一粒の米も労苦(ろうく)の賜物(たまもの) 濃淡多少(のうたんたしょう)は問(と)うところにあらず 謹んで食の功徳(くどく)を念(ねん)ぜん 一つ一つの命をありがたく頂きます」「頂きます」


一つ一つの命とありますね。

神道の「食前の感謝の言葉」

「たなつもの 百(もも)の木草(きぐさ)も あまてらす 日の大神(おほかみ)の 恵(めぐみ)えてこそ」「いただきます」


神道の「食後の感謝の言葉」

「朝よひに 物食う(ものくふ)ごとに 豊受(とようけ)の 神のめぐみを
思へ世の人」「ごちそうさま」


神の恵みとありますね。

仏教では、生きとし生けるものみな平等なる命とみます。ここをテーマにお話すればいいのですが、それはじっくり法話でさせてもらいます。ここでは金子みずずさんの詩を紹介しておきましょう。

朝焼け小焼けだ大漁だ。おおばいわしの大漁だ。浜は祭りのようだけど 海の中では何万の 魚のとむらいするだろう。」金子みすず


さて、他の命を奪い自らの命を長らえている(何のために?)食事ですが、仏教では食前に唱える言葉が古来から受け継がれてきました。

南山大師道宣が著した『四分律行事鈔』に「五観の偈」というものがあります。

一 計功多少量彼来処
二 忖己徳行全缺多減
三 防心顕過不過三毒
四 正事良薬取済形苦
五 為成道業世報非意

一 この食事が調うまでの多くの人々のご縁に思いをいたします。
二 この食事をいただくにあたって自分の行いが供養に相応しいものであるかどうか反省します。
三 心を正しく保ち過ちを避けるために、貪りなどを持たないことを誓います。
四 この食事を、身体を養い力を得るための良薬としていただきます。
五 この食事を、仏道を正しく成し遂げるためにいただきます。


また、友人の禅僧に訊いたところでは、禅宗の食事作法には、最初にご飯粒を少し膳の縁に置き「衆生とともに」という心を示すそうです。

真宗では、日渓法林(1693-1741)が、他宗の僧侶に「真宗には対食の偈はないのか?」と訊かれて、即興でそらんじたといわれる六言二十二句の「対食偈」が始まりとされていますが、いま調べていて、昔の本願寺派の食前の言葉をみつけました。


▼本願寺派(昔)

【食前のことば】
われ今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵により、この美しき食を饗く。
つつしみて食の来由を尋ねて味の濃淡を問わじ。
つつしみて食の功徳を念じて品の多少を選ばじ。
戴きます。

【食後のことば】
われ今、この美しき食を終わりて、心豊かにちから身に充つ。
願わくは、この身心を捧げておのが業にいそしみ、誓って四恩にむくい奉らん。
ご馳走様。

▼本願寺派(現在)

【食前のことば】
●みほとけと、みなさまのおかげにより、このごちそうを恵まれました。
◎深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

【食後のことば】
●尊いお恵みにより、おいしくいただきました。
◎おかげで、ごちそうさまでした。



▼真宗大谷派

【食前のことば】
み光のもと、われ今、幸いにこの清き食をうく。いただきます。

【食後のことば】
われ今、この浄き食を終わりて心ゆたかに、力身にみつ。ごちそうさま



▼仏光寺派

【食前のことば】
わたくしたちは、今この食膳に向かって衆恩の恵みに深く感謝します。味と品の善悪を問いません。いただきます。

【食後のことば】
わたくしたちは、この美しい食を終わって、大いなる力を得ました。この力を報恩の行業にささげます。ごちそうさま。



▼高田派

【食前の言葉】 
われ今、さいわいに、このうるわしき食を受く。みほとけのめぐみを思いて。いただきます。

【食後のことば】
われ今、 このうるわしき食を終わりて、心ゆたかにちから身にみつ。ごちそうさま。合掌


そして、僕もよく宿坊でお世話になった興正寺派


▼真宗興正派

【食前のことば】
一粒(いちりゅう)一滴(いってき)みな御恩不足を言ってはもったいない感謝でおいしく頂きましょう。
いただきます。

【食後のことば】
いま尊い食を終ってこころ豊かに力身に満つ
この心身をもっておのがわざに励みましょう
ごちそうさまでした。



▼浄土宗
【食前のことば】
われここに食をうく、つつしみて、天地の恵みを思い、その労を謝し奉る。(または「みひかりのもと、今、この浄き食を受く。つつしみて、天地の恵みに感謝いたします」)南無阿弥陀仏(十念)いただきます。

【食後のことば】
われ食を終りて、心豊かに、力身に満つ。おのがつとめにいそしみて、誓って、御恩にむくい奉らん。南無阿弥陀仏(十念)ごちそうさま。



▼天台宗

【食前観】
我今幸いに、仏祖の加護と衆生の恩恵により此の美わしき食を受く。
謹しみて食の由来を尋ねて味の濃淡を問わじ。
謹しみて食の功徳を念じて品の多少を選ばじ。「頂きます」

【食後観】
我今此の美わしき食を終りて、心豊かに力身に満つ。
願わくは此の心身を捧げて己が業に勤しみ
誓って四恩に報い奉らむ。「御馳走様」



▼日蓮宗
天の三光に身を温め、地の五穀に精神(たましい)を養う、 みなこれ本仏の慈悲なり。
たとえ一滴の水、一粒(いちりゅう)の米といえども 功徳と辛苦によらざることなし。
われらこれによって心身の健康を全うし、 仏祖の教法(おしえ)を守って四恩に報謝し、 奉仕の浄行を達せしめ給え。 南無妙法蓮華経。いただきます。


こうして見ると、簡略化された「いただきます」「ごちそうさま」という言葉に、仏教の心が受け継がれてきたのだと分かります。

私たちは、他の命を頂いている(奪っている)事実を、見つめることなしに、グルメだなんだ、旨い不味い、多い少ない、熱い冷たい、好き嫌い、と言いたい放題。さて、いかがなものでしょうか。