mizu武道の稽古が楽しい。
多分、この時間は意識的だから。
普段は無意識的なんだなぁ。
そう思う。
型を通して、身体が技化されるためには、
その型を忠実にくり返し、
意識的に身体の動きを統制していかなければならない。

無意識的な動きは、これまで培った「人間技」であって、
それは「武道的な技」ではない。

人間技をいくら磨いても、それは人間技の域を出ない。

そうやって技が身についたら、それを使う段階に入るのだが、
常に型に戻らないと、崩れたままの技が身についてしまう。


館長が言っておられた。

「我の強い人はあかん」
「いつまでたっても自己流に固執している人は、何年やっても武道的な技は身につかない」
「素直な人は早い」

素直ってのは、バカになるってことやなぁと思う。
偉くなった(つもり)ならもうそこで終わりだ。

カウンセリングでも、そうだなぁ。

何を聴くのか。

自分のエゴにとらわれていたら、
相手が聴けない。

エゴを無くすのは無理だけど、
エゴに餌をやらず、エゴを相手にしないでいることはできる。
というか、常に頭を擡げるエゴに丁寧に気づいていなければならない。

で、何を聴くのか?


仏法聞くのもそうやった。

高慢・自惚れ・我執・偏見・独断…

何を聞くのか忘れてた。

何を相手にしてんのやろ俺。


焦点がずれているぞ。

ずれまくっているぞ。


俺が俺が…



申し訳ない。
ありがとう。