“キネシオロジー”? この奇妙な言葉の響きと、講師の先生のそれにかけるエネルギーに引かれて3日間のセミナーに参加。
【キネシオロジー(kinesiology)】。ギリシャ語に語源をもつキネシス(kinesis)「運動」と、「学問」を意味するロゴス(logos)で成り立つ合成語とこのこ。

「私たちの身体のある筋肉が、精神的なストレスに反応して緩んでしまうという特性を利用し、それらの筋肉の反射を調べながら、様々な療法を使い分けながら心身の不調を解消していく総合療法です。本人が意識的に知らなくても、身体に聞くことで適切な手法を施すことが可能になります」webより拝借。

ここんとこやたらと書いているように、最近は「心と身体」の関係に注目しています。これまで深く探求してこなかった身体へのアプローチに関心が動いているのでしょう。そんな中、筋反射テストを用いて身体からのメッセージを聴くという“キネシオロジー”に興味を持ったのでした。

しかし、余計な先入観を入れまいと、前もって理論書や概説を読んでいたわけではなく、なかなか素直に“キネシオロジー”を受け入れられない自分がいました。しかし、実際にやってみると、なるほど筋反射テストでは、不思議と反応が出るのでした。

「これは何なのか?」と、すぐに理屈を知りたくなったり、「いや、疑わしい。こういう結果で何かを選択していくというのは魔術的だ(笑)」等と、理性に反する事実を素直に受け入れられない場面もありました。

もちろん、生きた人間をありのままに観察するとき、理性や論理など何の役にも立たないのですが、かといって無批判に何かを信じることには、やはり抵抗がありました。

そうした自分が抱く懐疑心も、自分が体験しつつある事実を丁寧にしっかりと受け止めることで、一つ一つ実感に落とし込むことができました。サポートありがとうございました。

以前、研究論文を書く為に、主観的経験を客観的に記述することに力を入れていたので、今もその名残があるようです。最近も自分のロジカルなパーツが弱いなぁと感じていたので、そこを強化すべく取り組んでいました。ワーク中でも左脳が折に触れて活性化していたようです。「これは何故だ」「どういう原理だ」「あれとこれの関係は」「どのレベルに有効か」「限界はなにか」…。。。

さて、何度も筋反射テストで相手の腕を押しているうちに、押すといっても単に力で押すのではないのだと分かり始めました。押されてみても、落ちる時の感覚は力で落とされたような感じではなく、自然にすっと落ちる感じでした。それはある種、気持ちよさを伴うもので、押された・操られたという操作感は全く感じられませんでした。この辺りは、合気道で熟練者に投げられる時の感覚に似ているかもしれません。

今回のセミナーで講師の先生がおっしゃっていた「同調・共鳴」とは、こういう現象をいっているのだと感じました。その同調への信頼感が増すにつれ、相手への信頼、身体への信頼、微細なエネルギーへの信頼が増していくのが分かりました。そして、「自分を空しくしてただ聴かせてもらう」という在り方に、意識がシフトするのでした。これには驚きでした。

いわゆる臨床心理系では、いくつかの理由から、基本的にクライアントの身体に触れてはいけないのですが、“キネシオロジー”では、「相手の身体に触れる」という事が前提なので、信頼関係や安心感、いわゆるラポールの成立を、より効率的に早めることができると思いました。もちろん実際のセッションでは、筋反射テスト以前の段階でそれを行っていることが前提でしょうが、その上で直に触れ合うということの意味は予想以上に大きいと感じます。

今となっては笑い話ですが、以前、webで“キネシオロジー”のカウンセリングのVを観た時に感じた不信感を思い出しました。

その時抱いた不信感とは、このセラピーは専門家であるセラピスト主導型で、クライアントが操作され、誘導されているのではないか。サクサクと筋反射を取り、クライアントは置いてけぼり、あっという間にセラピストの案内した場所に連れて行かれ、クライアントはただただ感動しているという見事なまでの解決感は、まるで巷の霊能者や占い師のようだ(笑)、というものでした。

こういう違和感は、非指示的療法をかじった人なら一様に感じるもので、自分のフレームからのみ世界を見ている場合に起こります。しかし、セミナーに参加して、“キネシオロジー”は、全く操作的ではなく、誘導も指示もなく、ただクライアントに寄り添い、クライアントのペースで、クライアントの為になされるものであることが分かりました。

講師の方もそのことを協調されていて、常に確認を取ること、待つことの大切さや、相手が語る自身の言葉をそのまま大切にし、相手自身にとって必要な要素を、相手自身が選びとるということを、言葉で、また態度で教えてくれました。そんな態度が何よりも真実味があり、何よりも説得力がありました。やはり、大切なものはその方の姿を通して伝わるものだと思いました。

結果から原因を探り、それを変えていくという問題解決指向のブリーフセラピー系だと思っていましたが、関係性において起こるプロセスに従い、微細なエネルギーを調整することによって、深い癒しを伴う穏やかなセラピーだなぁという印象を受けました。

実際、今の自分に必要な要素が、ドンピシャで導き出されるのでとっても癒され、新鮮な気づきを得ることができました。

たった3日間でしたが、“キネシオロジー”の核になるエッセンスを受け取ることができたように思います。自身の活動、人との関わりにおいて、相手の方の旅に同行するためのツールとして、その行き先への扉として、“キネシオロジー”を活かせたらと思います。

しかし、いろんなアプローチがありますねぇ。セラピーも日々進化しているのですね。