システミック・コンステレーションのトレーニングのため3日間横浜へ。
最後の一日の終わりになって、やっと目が覚めました。

僕は「わかりたい」一心だった。
でも、頭でわかるはずがない。

その思い上がり・高慢心・生意気さ・自惚れが圧倒的なリアリティの前で崩れ去りました。

僕はどこかで、いや、思いっきり疑っていたのでした。その疑いの殻の中から、腐った眼(まなこ)で自分の目に見えるものだけを集めて世界を観察していたのでした。

「わかりたい」と意気込んでいた生意気な少年は、みるみる小さくなり、ただ頭を下げ、聴かせていただく、見せていただく、それしかないのだと知らされたのでした。

そして直感で、このシステミック・コンステレーションは、知らない人には必ず誤解されるだろうと感じたのでした。あまりにも深すぎるから。あまりにも非合理であり、同時に世間ではよく知られた物語とあまりにも似ているから。

僕の頭(理知の眼)では理解は出来ないものであること知り、今までおぼえ込んでドグマ化してしまっている理論や教義では、とうてい対処できないリアリティの次元があることを目の当たりにして、その表現には適切な言葉を選ばないと異端化?していくであろう自分の立場をあらためて複雑に感じてしまいました。同じ立場の参加者と、これはホームでは言えないねぇと話していました。



  「真っ暗な部屋の窓が開いた
  男は初めて空を見た
  
  その空はとても青かった
  
  その男の見た空は四角かった
  空は南の方角にあった
  
  男は空というものを
  南にある四角いものだと
  そう理解した」
  


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創始者のヘリンガー氏の『愛の法則』という本がある。

「愛の法則」

なんて陳腐な言葉だろう。

しかし、それが指し示すものに触れた今は、素直にその言葉を受け止めさせていただきます。