今日で大阪府立大学名誉教授の船岡三郎先生による、カウンセリング概論の全3回に講義が終了した。第一回目は先生が来られない、というハプニングがあったが、補講もありしっかり3回聴くことができた。続きを読む
2005年05月06日 17:19
2005年04月22日 22:24
今日は関西大学教授の倉戸ヨシヤ先生による、カウンセリング概論の講義。カウンセリングの語源は、councel=共に考慮する。therapy=to wait(待つ)である。
(そういえば、僕が初めて出会ったカウンセリングマインドを備えた仏道の師も、この「待つ」ということを本当に粘り強くしてくれたことを思い出す)
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(そういえば、僕が初めて出会ったカウンセリングマインドを備えた仏道の師も、この「待つ」ということを本当に粘り強くしてくれたことを思い出す)
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山口の法友のお寺に美味しい空気を吸いに行ったついでに、ピカソ展を見に山口県立美術館に行ってきました。
パブロ・ピカソ(1881-1973)。知らぬ者のいない世界的な大画家です。この巨匠は70歳をすぎてなお恋をしたといいます。お相手は45歳も年の離れたジャクリーヌ・ロック(1926-1986)。
今回のピカソ展では、最後の妻・ジャクリーヌの相続したコレクションから、油彩、素描、彫刻あわせて130点(一部展示替があります)が展示されていました。キュビスム時代の作品、初めての息子を描いた作品、ジャクリーヌと出会ってからの晩年の作品をはじめ、ほとんどが日本初公開のピカソです!
ピカソなんてワケワカラン。以前からそんなステレオタイプなレッテルを貼っていました。ところがどうでしょう。わけわかるんです。とくに鉛筆で書かれたものは最高に楽しかった。
が、疲れた。作品が多い。会場が広い。今回は絵画を楽しむということ意外にも、ジャクリーヌという女性の存在が、晩年のピカソの作品に与えた影響、という観点からも楽しめたと思う。
会場を後にした僕たち二人は、さっきすれ違った美女の話題ばかり。そしていつものバカトークを繰り広げるのでありました続きを読む
パブロ・ピカソ(1881-1973)。知らぬ者のいない世界的な大画家です。この巨匠は70歳をすぎてなお恋をしたといいます。お相手は45歳も年の離れたジャクリーヌ・ロック(1926-1986)。
今回のピカソ展では、最後の妻・ジャクリーヌの相続したコレクションから、油彩、素描、彫刻あわせて130点(一部展示替があります)が展示されていました。キュビスム時代の作品、初めての息子を描いた作品、ジャクリーヌと出会ってからの晩年の作品をはじめ、ほとんどが日本初公開のピカソです!
ピカソなんてワケワカラン。以前からそんなステレオタイプなレッテルを貼っていました。ところがどうでしょう。わけわかるんです。とくに鉛筆で書かれたものは最高に楽しかった。
が、疲れた。作品が多い。会場が広い。今回は絵画を楽しむということ意外にも、ジャクリーヌという女性の存在が、晩年のピカソの作品に与えた影響、という観点からも楽しめたと思う。
会場を後にした僕たち二人は、さっきすれ違った美女の話題ばかり。そしていつものバカトークを繰り広げるのでありました続きを読む
とても刺激的な時間だった。それは京都国立近代美術館でのこと。そのアーティストは草間弥生。テーマは『永遠の現在』。
脳味噌をストローで吸われたような感覚。浮遊感。存在。反復。連鎖。増殖。虚無。無限…
圧倒された。人間の凄まじい執念と気概を感じた。完全にイカれてる。そして完全にイカしてる。
草間弥生は幼い頃から物体の周りにオーラが見えたり、植物や動物の話すことばが聞こえたりといった幻覚や幻聴にしばしば悩まされてきたという。その恐怖や恐れを鎮めるために、その「得体の知れない、魂の背後に見え隠れする不気味なもの」を絵することに没頭していったという。
一緒に行った友人は、「無限の梯子」をみて笑い転げていた。「ミエル、ミエル」と嬉しそうに。そんな彼の姿をオブジェ越しに眺めながら、僕の身体は何処か彼方に置き忘れて来たような気がした。「ミエル、ミエル」がミエル…
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脳味噌をストローで吸われたような感覚。浮遊感。存在。反復。連鎖。増殖。虚無。無限…
圧倒された。人間の凄まじい執念と気概を感じた。完全にイカれてる。そして完全にイカしてる。
草間弥生は幼い頃から物体の周りにオーラが見えたり、植物や動物の話すことばが聞こえたりといった幻覚や幻聴にしばしば悩まされてきたという。その恐怖や恐れを鎮めるために、その「得体の知れない、魂の背後に見え隠れする不気味なもの」を絵することに没頭していったという。
一緒に行った友人は、「無限の梯子」をみて笑い転げていた。「ミエル、ミエル」と嬉しそうに。そんな彼の姿をオブジェ越しに眺めながら、僕の身体は何処か彼方に置き忘れて来たような気がした。「ミエル、ミエル」がミエル…
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2004年11月07日 14:04
東京に来たついでに、東京タワーにでもいってみよう、ということでお上りさんよろしくいそいそと出かけた。
そこに蝋人形館があることを知っていたので、勇んで見物にいった。そこには拷問のコーナーがあった。以前『拷問の歴史』という分厚い本で見たことがあったが、それを蝋人形にして見せられると、何ともいえない恐ろしさを感じた。
人間のおぞましさ。しかしそのおぞまじさが自分のものであることがはっきりわかる。私は拷問をするものであり、また拷問を受けるものでもあった。縁に会えば何にでもなる身である。過去世での自分の姿を思うと胸が潰れそうだ。来世での自分の姿を思うと心底震えた。縁次第で何をし出来すか分からない、薄気味悪い本性を腹底に抱えた自分である。
帰りの新幹線でうなぎ弁当に舌鼓を打つ。なんともお粗末。殺生は旨い。これが我が本性。地獄必堕。南無阿弥陀仏…
そこに蝋人形館があることを知っていたので、勇んで見物にいった。そこには拷問のコーナーがあった。以前『拷問の歴史』という分厚い本で見たことがあったが、それを蝋人形にして見せられると、何ともいえない恐ろしさを感じた。
人間のおぞましさ。しかしそのおぞまじさが自分のものであることがはっきりわかる。私は拷問をするものであり、また拷問を受けるものでもあった。縁に会えば何にでもなる身である。過去世での自分の姿を思うと胸が潰れそうだ。来世での自分の姿を思うと心底震えた。縁次第で何をし出来すか分からない、薄気味悪い本性を腹底に抱えた自分である。
帰りの新幹線でうなぎ弁当に舌鼓を打つ。なんともお粗末。殺生は旨い。これが我が本性。地獄必堕。南無阿弥陀仏…
東京の青松寺での「仏教ルネッサンス塾」に参加。塾長は上田紀行氏である。上田氏はお坊さんではない。おもろい男である。詳しくは『がんばれ仏教!』NHKブックス参照。
この日は「エンゲイジド・ブッディズム」と題して、阿満利麿先生が講師であった。知的雰囲気の方で、話も論理的であった。最初に「マイクはいりません、マイクというのは暴力ですから…」といってマイクを拒まれた。
「宗教とは一人一人の心の問題ですか?」という問いかけ。話は著書『社会をつくる仏教ーエンゲイジド・ブッディズム』人文書院を参照!
この寺で上田さんは、「ボーズ・ビ・アンビシャス」という若手僧侶の集会をやっている。宗派を超え「仏教とは寺とは坊さんとは」ということを共に考える場であるらしい。こんな場をつくるのはやはり坊さんではなかった。やられっぱなしだな。東京は学際的な活動がやりやすいのだろうか。うらやましい。是非次回参加してみたいものだ。
この日は「エンゲイジド・ブッディズム」と題して、阿満利麿先生が講師であった。知的雰囲気の方で、話も論理的であった。最初に「マイクはいりません、マイクというのは暴力ですから…」といってマイクを拒まれた。
「宗教とは一人一人の心の問題ですか?」という問いかけ。話は著書『社会をつくる仏教ーエンゲイジド・ブッディズム』人文書院を参照!
この寺で上田さんは、「ボーズ・ビ・アンビシャス」という若手僧侶の集会をやっている。宗派を超え「仏教とは寺とは坊さんとは」ということを共に考える場であるらしい。こんな場をつくるのはやはり坊さんではなかった。やられっぱなしだな。東京は学際的な活動がやりやすいのだろうか。うらやましい。是非次回参加してみたいものだ。
第六回日本トランスパーソナル心理学/精神医学学会学術大会「禅と現代心理学の新潮流」
この日は宝積玄承老師指導による「一日摂心」であった。禅や瞑想には以前より関心があり、独学であるいはカウンセラーの指導を受けて取り組んできた。この日は、初めて禅の老師に直接指導をいただけるということで楽しみにしていた。
結跏趺坐。脚の痛さは正座のそれと異なり、相当のものだった。足首が折れるかも、という恐怖を感じた。
数息観。10まで数えることが、この日は想いのほか難しい。隣の美人が気になってたからかしら?
また次第に呼吸自体を忘れる。たぶん、本当に呼吸が止まっていたのだろう。深い呼吸をくり返すことで無呼吸の時間が増すのだろうか。いや、呼吸がものすごくゆっくりだったのかもしれない。
目を半眼に保つことも難しい。視点が定まらない。ただ、目を閉じて行う瞑想と違い、半眼にすることで、イメージや視覚的な妄想は格段に減る。思考が流れる。感情が流れる。景色はただそこにある。思考も音として聞いている感じだ。
身体を整え・呼吸を整え・こころを整える、という禅の基本はすがすがしい。いつもの朝の時間のようだ。最近さぼってたけど…。僕は座禅中に何も期待しない。念仏に何も期待しないように。禅も念仏も手段じゃないもの。
途中、経行(きんひん)を行う。歩く禅である。叉手胸当(しゃしゅきょうとう)の姿勢が安定を助けるようだ。行住坐臥が禅であるという。念仏もしかり、とは善導大師のお言葉。実際の念仏者はどうであろうか。
この日は宝積玄承老師指導による「一日摂心」であった。禅や瞑想には以前より関心があり、独学であるいはカウンセラーの指導を受けて取り組んできた。この日は、初めて禅の老師に直接指導をいただけるということで楽しみにしていた。
結跏趺坐。脚の痛さは正座のそれと異なり、相当のものだった。足首が折れるかも、という恐怖を感じた。
数息観。10まで数えることが、この日は想いのほか難しい。隣の美人が気になってたからかしら?
また次第に呼吸自体を忘れる。たぶん、本当に呼吸が止まっていたのだろう。深い呼吸をくり返すことで無呼吸の時間が増すのだろうか。いや、呼吸がものすごくゆっくりだったのかもしれない。
目を半眼に保つことも難しい。視点が定まらない。ただ、目を閉じて行う瞑想と違い、半眼にすることで、イメージや視覚的な妄想は格段に減る。思考が流れる。感情が流れる。景色はただそこにある。思考も音として聞いている感じだ。
身体を整え・呼吸を整え・こころを整える、という禅の基本はすがすがしい。いつもの朝の時間のようだ。最近さぼってたけど…。僕は座禅中に何も期待しない。念仏に何も期待しないように。禅も念仏も手段じゃないもの。
途中、経行(きんひん)を行う。歩く禅である。叉手胸当(しゃしゅきょうとう)の姿勢が安定を助けるようだ。行住坐臥が禅であるという。念仏もしかり、とは善導大師のお言葉。実際の念仏者はどうであろうか。
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